不感症

常にあそこが痛いここが痛いと、痛みやだるさが自覚に上りやすいのを過敏症と仮定すれば、

 

普段はどこも調子悪くないというけど時々急激に悪化する人を不感症と定義する

 

調子悪くない人が鍼灸院にくるのか?といった疑問があると思いますが、時々あります

調子が悪いというよりは特定のなにか、体の特徴や診断名の治療を鍼灸なら治せるかもという期待からこられます

 

無自覚でも、骨格の歪みがあったり、背骨の柔軟性の消失(単純に腰が硬いとか)、足がむくんでいる、みぞおちや胃の張り、があったりする。それらは当然ながら脈や舌にも反映し、治療の余地がたくさんある。

 

だけど無自覚

断っておきますが、考えすぎないということは素晴らしいことです

 

問題は実際悪いのに自覚に登らないということ

 

でも不調が意識に上らない、幸せなことですよね。

 

ならそれでいいんじゃない?と思ったりもします

 

イヤイヤ今はいいけど将来やばいことになるやろ!ってのがあるから一応「やばいよ」とおおまかに伝えるけど、セールストークだと思われるのもいやだしあんまり言わないようにしてる

 

いくら治療の必要性を伝えても、自覚にのぼるぐらいひどくならんと真剣にそれを良くしようとは思わないだろうから

 

そう考えると、無自覚な人って、幸せなんだけどリスクが高い人だなと思う

 

反対に過敏症の人は常に不調を感じているため、ストレスいっぱい、いかにその不調が気にならなくなるように治療していく必要があります

 

ストレスが多いから不幸なのか?というとそういう人は治療に積極的だし、無理しなかったりするので急激に悪くなるリスクは低いと思います

 

 

どっちがいいのか?

 

結局ここでも中庸が最良となる

 

病になることを心配し過ぎる人はいつかその病を獲得し、体の丈夫な人は体を大切にしないため病弱な人よりも早死にする

 

なんかの本で読んだ気がする・・・