鬱で苦しむ方に私ができること

心の病で葛藤し、抜け出せない

 

健全な精神は健全な肉体に宿る

 

有名な言葉ですが、これを聞いて心と体の体調の悪い方はどう思うでしょうか?

 

きっと何も響かないのではないでしょうか?

 

昔接骨院でアルバイトしていた時のこと、

 

あるおばあちゃんに接することがありました。

その方に接する前に、勤務先の院長から「あの人はうつ病だから・・・」と言われていたので、あさはかにも私はそのおばあちゃんを元気にしよう!なんて思いで話しかけたのです。

 

私はそのおばあちゃんと話が進むにつれてある一言を言ってしまいました「色々悩んでいるんですね、絵とか趣味を始めたら楽になるんじゃないですか?」

 

今の私がもし当時の自分を雇っていたとしたら間違いなく蹴りを入れています。

 

20代の若造が、70を越した人の、出会って間もなく何も知らないくせに、浅はかで無責任な提案をしたのです。

 

そのおばあちゃんの返答はこうでした

 

「あんたみたいな人はいっぱいいるわ」

 

こう言われて私は何も言えなくなりました。この言葉が今でも忘れられません。

 

若気の至りで済む話ではありません。私なんぞの言葉はそのおばあちゃんにとって対して影響はなかったかもしれません。

 

しかし、おばあちゃんの心の溝は私のようなその他大勢のせいで、より深く、壁はより強固になっていることは間違い無いのです。

 

 

ここで冒頭の、

 

健全な精神は健全な身体に宿る

 

に戻ります。

 

もし今私がそのおばあちゃんを診ることができたとしたら、

 

ただただ耳を傾け、体の不調を改善し、運動療法を積極的に行います。

 

アドバイスなんてことはしないしできません。所詮人は変えられるものではない。自ずから変わるものだからです。

 

私は落ち込みやすい体の特徴、状態のようなものがあると考えています。

 

同じ出来事があってとしても立ち直りやすい人、引きずる人がいます。それは育った環境や性格が違うことも当然ありますが、

 

その資質すらも骨格、筋肉、内臓に影響されていると考えます。

 

東洋医学では臓腑と精神の結びつきをあげています、

 

肝臓の調子が悪ければ怒りやすく、肺の調子が悪ければ悲しみやすい、鶏と卵の関係でどっちが先かは分かりませんが、影響し合うのです。

 

感情を操作することは私にはできない、でも内臓の不調を整えることはできる。

 

当時のおばあちゃんに私ができることはなかった。今でも解決できるとは思えない。

 

ただ立ち直れなくても、不眠が改善されて笑顔が増えるかもしれない、ご飯の味が美味しく感じられるようになるかもしれない、

 

心の病を治すことができなくても、肉体からアプローチすることができる。

 

この差は大きくこの道を選んだ甲斐があるというものです。